電話口の最初の一言で、わかった。
(機嫌悪いな)
なのはは普段、仕事柄かもともとの性格か、感情を表に出すことはめったにない。
だいたいいつもにこにこと笑っていて、(それはもう、こちらが心配になるくらいに)それが崩れることはあまりない。理不尽な敵に顔を歪めることもあれば、感動して涙をこぼすことも、幸せそうににっこりと笑うことも、もちろんある。けれど基本的に負の感情、苛立ち、疲れ、怒りを表面に出すような人間ではない。
そもそも電話したのは、頼まれていた資料が用意できたという業務連絡があったからでしかないのだが、そんな彼女の様子につい、言ってしまった。

「夜、空いてる?久しぶりにゆっくりしよう」

彼女がそれほどに神経を尖らせるようなことがあったのならば、自分と会うことで少しでも和らげてあげることができるかもしれない。
なんて、ひどい自己満足。自惚れのかたまり。それでも、向こう側で微かにためらってうなずいた気配に僕はそっと胸を撫で下ろした。


そうと決まれば、ただもうひたすらに仕事をこなさなければならない。夜に確実な時間をひねり出すためには、今やるべきことをしっかりとやらねばならない。悲しい哉、研究者の性なのか、やり始めると没頭して時を忘れてしまうことは間々あることだ。そうして彼女との約束をキャンセルしたことも少なからずある。やはり、少しふくれただけで許してくれてしまう彼女に甘えてきたけれども、今日の機嫌ではどうなるかわからない。
端末を開いて今日の仕事をチェックする。並ぶ言葉は資料検索、資料検索、資料検索…。それはもちろん書庫の人間なのだから、資料を探せといわれるのが本業なのだが今回の依頼は一日や二日で片が付かないようなものばかりだ。ため息をかみ殺しながら部下(最近になってやっと増えてきた。優秀な子が多くて非常に助かっている)に指示を与えて、自分も手早く各種の書類作成を始める。
ああ、終わるだろうか?
結構本気で泣きたくなったが、心が折れてしまうわけにはいかない。
仕事を片付けて、シャワーを浴びて、なのはの好きな店に予約を入れて。あとは、そう、美味しい紅茶でも用意しておこう。
やるべきことは山積みだけれど不思議と苦ではない。
だんだんと心がほぐれて溢れてくるなのはの笑顔が見たいだけだ。うんと甘やかして、そういうときにだけ見れる余計にはにかんだような彼女の笑顔を僕が目一杯楽しみたいだけだ。
(振り回されてる?)
…とんでもない、僕は僕のやりたいように、彼女の好きなものをたくさん用意するだけだ。
だからめったにないこの機会を十分に生かさなくては。機嫌が直ったときの顔は最高なんだ。
もう既にゆるみはじめた頬を引き締めながら僕は改めて端末に向き尚った。







07.すきもきらいも
ぜんぶばれてる
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