その日、無限書庫司書長ユーノ・スクライアは最高潮に機嫌が悪かった。

腰まで届く綺麗なミルクティー色の髪の毛を緑色のリボンでひとつにまとめ、リボンより少し濃い緑の瞳はだいたい熱心に書物に向けられている。派手ではないが、落ち着いた服装。女性と間違われることも少なくない、整った容姿。
基本的には温和で真面目、穏やかな笑顔が特徴的な人物。
普段、どれだけ疲れていようとそれを表に出すことは滅多にない。周りの司書たちがはらはらするくらい文句も愚痴も言わない。
それが、どうしたことだろう。

「あのー…司書長…」
「何」

果敢にも声をかけにいった司書がその冷たい声と対応に、無限書庫の闇に散った。それを見送って別の司書が声をかける。

「あ、の…」
「用件は手短に」

その声音の温度の低いことといったらない。はい、とかすいません、とかを言う暇も与えられず、早口で用件のみを伝えて逃げるように去っていく。
滅多に愚痴も文句も言わない彼が、唯一クロノ提督(鬼提督、と司書たちはひそかに呼んでいる。彼のもってくる仕事が一番量が多くて厄介なものが多いのだ。しかも、頻度が半端ない)にだけ冷たい態度をとることがある。親しいからこその冷たさだが、それでも絶対零度の態度の時もある。
今の彼は、まさにそのときだった。しかも、対象が誰彼構わずになっている。
触れれば切れる。ていうか、触ってる暇があるなら仕事しろ仕事しないやつは力ずくでやらせんぞこら、というオーラが体中から出ている。

(なんでこんなことに…)

と思った司書は、ひとりではない。


そもそも今日、彼は半日で上がれるはずだった。
なぜなら彼の溺愛している彼女、なのはの誕生日だからだ。それが、昨日クロノ提督が、いや黒い悪魔が、持ち込んだ依頼が片付かなかったせいで今もずるずると上がれずにいるのだ。
確かに彼の依頼は現在追っているロストロギアに関していて、最重要項目だった。
仕事を投げ出す気はないし、なかなか進まないのは自分の力不足のせいもあるとわかっているから、仕方ないとは思う。思うが。

(だからって、何もこんなときに……!)

もうレストランの予約していた時間には間に合わない。花束も、プレゼントの指輪もしっかり用意していたというのに。
ぎりぎりと歯を噛み合わせていますぐ目の前の本を放り投げて暴れたかった。しかしそんなことをすれば時間が延びるだけだということもきちんと理解しているから、余計に苛立ちがたまる。僕が大変なのは別にいい。いつものことだ。
しかし、なのはが悲しんでいないかが、それだけが心配で。
そう、彼女はきっと、こんな時も「お仕事だから仕方ないよ、私は大丈夫だよ」と言って笑うだろう。わがままも言わず。ぜんぜん大丈夫じゃないくせに!
そんな顔をさせたくなかったし、言わせたくなかった。
だから、さっさと終わらせてやる、と思ったそのときに通信が入った。
虚空に映ったのは、愛しい彼女の笑顔だった。

「…なのは」
『えへ、ごめんね忙しい時に』
「いや…」

思わず毒気を抜かれて、ものすごく気の抜けた返事をする。
画面の彼女はやはり少し寂しそうに笑っている。胸の奥が痛む。

「ごめんね、僕こそ。こんなときに…」
『ううん。いいの、仕方ないよ!私は大丈夫!』

(やっぱり言った)

予想通りの言葉に、もうなんか何もかも投げ出して彼女を抱きしめに行きたくなった。
そして結局言わせてしまったことに、がっくりと肩を落とす。
だから、彼女が続けた言葉を一瞬聞き落としていた。

「…え?ごめん、もう一回言って?」
『だから、えと……あのね、やっぱり、寂しいからちゃんと誕生日が終わるまでに連絡して、ね?』

少し頬を染めて、上目遣いでそんなことを言う。

(…ああああああっ!)

かわいいとかそういうレベルではない。これは、やばい。ちゅどーん、と軽く砲弾を投げ込まれた気分だ。うわあと悶絶していると、すぐに不安そうな声が続く。

『あ、あの、無理ならいいんだけど…』
「いや、無理とかないから!問題ないから!終わるっていうか終わらすから!」
『あ、そ、そう?でもあんまり無理はしないでね?』
「大丈夫!」

何が大丈夫なんだ、とつっこめる人はいない。

『そっか、よかった…。じゃあ、またあとでね』
「うん、もう、ほんっとにすぐ連絡するから。至急で、特急で、音速で!」
『う、うん…。あ』

若干引きつった笑顔を浮かべていたなのはが、ふと何かを思い出した様子で声をあげた。

「なに?」
『あのね…ちょっとだけ、顔近づけてくれる?向こうむいたまんまでいいから』
「?…こう?」

言われたとおりに、通信画面と鼻の向きが平行になるような格好で、画面に近づく。すると耳元で、ちゅ、と小さな擬音が響いた。

「ななななななのは!?」
『にゃはは、がんばれるようにおまじない、ね?』
「〜〜〜〜〜っ!!!」

擬似ほっぺにちゅー。基本的には素直だけど照れ屋な彼女で、滅多に大胆なことをしない。そんななのはが、ほっぺにちゅー。
ああ、ここまでされてがんばらないわけにはいかない。もともと頑張るつもりだったけれど、もういろんなことを通り越してユーノは本気になった。


それから、冷たいとかどうとかいうレベルではなく、まったくの無表情で仕事をこなす姿があまりにも機械じみていて、やはり司書達は声をかけることもなく。それがにやけるのを抑えるためだというのを十分に知っていたし、邪魔になることもわかっていたから。そして音速で仕事を終えた上司を静かに見送るのだった。

幸せを祈って。















05.お手上げです、きみには敵いません。
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